芳野懷古 藤井竹外 古陵松柏吼天飆 山寺尋春春寂寥 眉雪老僧時輟帚 落花深處説南朝 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 後醍醐天皇の古い御陵のあたりに生い茂っている松や柏の木々は、つむじ風に ごうごうと吼えるように鳴っている。 承句 この吉野の山寺に春の風情を尋ねて来てみると、春はもう終りに近くあたりは ひっそりと静まりかえっている。 転句 寺の庭では、雪のように白い眉の老僧が一人掃除をしていたが、ときどき掃く 手を休めては、 結句 桜の花びらが深く散り積っているあたりで、過ぎし昔の南朝のことどもを物語 ってくれた。 【語釈】 芳野 吉野の雅称。 古陵 古いみささぎ。ここでは後醍醐天皇陵。 松柏 松と柏。柏は檜やびゃくしんの類。(かしわではない) 天飆 天高く吹く強風。飆はつむじ風。旋風。 寂寥 ひっそりとしてものさびしいさま。 眉雪 まゆ毛が雪のように白いこと。 輟 やめる。途中でやめる。 帚 はく。掃。 【押韻】 平声 二蕭韻 飆、 寥、 朝。 【解説】 藤井竹外(1807-1866)の名は啓(ひらき)。 高槻藩士で賴山陽に学び漢詩に長じた。晩年は隱居して、梁川星巖(やながわせ いがん)や広瀬淡窓(ひろせたんそう)などとも交わった。 江戸時代末期、勤皇思想の高まりと共に吉野を詠ずる詩が多く作られました。 この詩は、その中で最も親しまれた傑作で、後に掲げる梁川星巖の「芳野懷古」 河野鐵兜(こうのてっとう)の「芳野」と共に芳野三絶と称せられています。 なお、この詩の手法は唐の元稹(げんじん)の下記の詩 (玉井幸久) |