「江樓書感」 趙嘏 獨上江樓思渺然 月光如水水連天 同來翫月人何處 風景依稀似去年 「 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 ただ一人で、大江沿いのたかどのに登って眺めれば、思いが果てしなくわき起って来る。 承句 月光は水のように澄みわたり、江水は遥かに天に連なって流れている。 転句 いっしょに このたかどのに登り、月を眺めたあの人は今どこにいるのであろうか(もう この世には居ないのだ)、 結句 風景は去年のあの時と変わらないまゝであるのに。 【語釈】 江楼 江(大きな川)のほとりのたかどの。 渺然 はてしないさま、はるかに広いさま。 如水 水のようである。 多いことの形容、融合することの形容、融通無限の形容、流れ去って帰らない形容、あっ さりしていることの形容 等々に用いるがここでは澄みわたっている形容と解釈。 同 共に、いっしょに。 翫月 月を眺めて楽しむこと、弄月。 依稀 ①よく似ている ②明らかでないさま。 去年 前年、昨年。 【押韻】 下平声一先韻、 然、天、年。 【解説】 趙嘏(815- ? )は晩唐の詩人。会昌2年(842)の進士。 詩は独り江楼の上で、曽て相携えて月を賞した、今は亡き人をしのんだもので、平易で静かな表 現の中に惻々たる悲しみの情をこめた名作です。特に起句の「 獨上」に対し転句の「同來」を配 した手法は美事です。 この詩には秘められた哀しい物語があります。 趙嘏には若くして相愛の美しい女性がありました。科挙の試験に挑む為 上京するに当って、彼女 は彼の母の家に留まり孝養をつくしていました。 ところが盂蘭盆会の日、彼女が寺に参詣した折 地方の長官に見染められ、そのまゝ連れ去られます。翌年、趙嘏は進士及第の後、これを知り悲 嘆の詩を作りました。 長官はこれを聞き彼女を長安の彼の元に送ります。趙嘏は喜んで出迎え横水駅という処で相遇いますが、 彼女は痛哭し二晩の後 死んでしまいます。 この詩はその後、作者が曽遊の地を訪れた時の作とされています。 (玉井幸久) |