照鏡見白髮 張 九齢 宿昔靑雲志 蹉跎白髮年 誰知明鏡裏 形影自相憐 (PCにない旧字は常用漢字を 用いています) 宿昔 青雲の志
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 昔若かった頃は、学問を修めて立身出世しようという大志をいだいていたものだ、 承句 しかし つまずいて、志を得ないうちに白髪の年になっていまった。 転句 だれが予想したであろう、鏡の中に、 結句 映った我が身の影とこうして憐れみ合うことになろうとは。 【語釈】 照鏡 鏡に映すこと。 宿昔 むかし。 靑雲志 立身出世しようとする志。 又 学得を修めて聖賢の地位に至ろうとする志。 蹉跎 つまずく。時機を失う。失敗して時機を逸すること。 白髮年 頭髪が白くなる年。老年。 明鏡 みがいた よく映る鏡。 裏 うち。なか。 【押韻】 平声 、先韻、 年、 憐。 【解説】 張 九齢(678-740)、は韶州(広東省)の人。若くして文才を現し、則天武后の長安2年(702) 進士及第。玄宗皇帝の信任を得て累進、中書令(宰相)に至った。しかし、李林甫に陥れられ て失脚。荊州(江陵)に左遷され病没した。 この詩については、作者の詩集「曲江集」には「照鏡見白髮連句」として収められているこ とから張 九齢と他の誰かとの合作であろうという考証があり、又 宰相の地位にまで出世した 本人の実感の詩とは考え難いという見方がある。 一方、宰相の位に上りながら政敵の陰謀により失脚した時の作品という説もある。いずれに しても、老年なって、若き日の大志は果さず、鏡に向って自らの白髪を悲しむという人生の悲 哀を詠じた傑作で、特に起句と承句の青雲と白髪の対比は秀逸です。 以上 (玉井幸久) |