【通釈】 起句 山も川も草も木も、荒れはててものさびしい。
承句 十里四方なまぐさい風が吹きわたる、ここは戦いが始まったばかりの新戦場である。
転句 軍馬も進まず、兵士たちもおし黙ったまま一語も発しない。
結句 今私は(大軍を率いて旅順攻略に向わんとして)、金州城外の夕日の中に立ち尽くしているのだ。
【語釈】 金州城 遼東半島の南部にあり、旅順港の後背に当る要衝の地。その城外南山で激戦があった。
轉 うたた。いよいよ。ますます。
荒涼 荒れはててものさびしい。
腥 なまぐさい。
征馬 軍馬。
前 すすむ。
斜陽 西に傾いた太陽。夕日。
【押韻】 平声、陽韻。涼、場、陽
【解説】 乃木希典(1849-1912)は明治の将軍。陸軍大将。長州藩の出身。
若くして戊辰戦争に従軍。維新後、西南戦争には連隊長、日清戦争には旅団長として従軍。
日露戦争には第三軍司令官として旅順要塞を攻略、さらに奉天会戦に加わった。
日露戦争の功により爵位を授けられ、明治天皇の命により学習院院長となったが、明治45年
明治天皇の大葬の夜、妻静子と共に自刃殉死し、その清廉な武人の一生を終わった。
なお乃木家の二人の男児はいずれも軍人として日露戦争で戦死した。
この詩は明治37年6月6日、第三軍司令官として遼東半島に上陸、旅順攻略に向う途中、金州
城外南山での作。ここ南山はその直前5月26日の第二軍による激戦において乃木の長男陸軍
中尉勝典が戦死した地である。
大軍を率いて、まさに祖国の存亡をかけた決戦に臨もうとし、自らの長男の戦死の地に立つ、
武将の悲壮な心情を見事に歌い上げた不朽の傑作です。
(玉井幸久)
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