愁思 許 渾 琪樹西風枕簟秋 楚雲湘水憶同遊 高歌一曲掩明鏡 昨日少年今白頭 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 色づいて玉のように美しい木々に西風がそよぎ、枕やたかむしろにも冷ややかな 秋の気配が感じられるようになった。 承句 昔、楚雲の湧く洞庭湖や湘水の辺でいっしょに遊んだ人のことを思い浮かべる。 転句 それにつれ、思わず歌の一ふしが声高らかに口をついて出たのだが うたいつつ ふと鏡に写った自分の姿を見て、忽ち鏡を掩ってしまった。 結句 つい昨日までの紅顔の美少年、今は はや白頭の老人になってしまっているのだ。 【語釈】 秋思 秋のものさびしい思い。 琪樹 玉のように美しい木。 西風 秋風をいう。 枕簟 まくらと「たかむしろ」寝具をいう。簟はたかむしろ、竹で編んだむしろ。 楚雲湘水 楚は戦国時代の楚の地。今の湖北省、湖南省。洞庭湖がある。 湘水は洞庭湖に注ぐ川の名、風光明媚で知られ、又多くの伝説がある。 同遊 いっしょに遊ぶ。又いっしょに遊んだ人。 高歌 声高らかにうたう。 掩明鏡 鏡をおおうこと。明鏡は明らかな鏡。 【押韻】 平声十一尤韻 秋、 遊、 頭。 【解説】 許渾(791-854?)は晩唐の人。潤州(じゅんしゅう) 丹陽(江蘇省)の生れ。初唐の 宰相許圉師(きょぎょし)の子孫。(因に許圉師の孫娘の一人は李白の妻となった)大 和6(832)年進士及第。 大中3(849)年監察御史となり、更に睦州(浙江)、郢州(湖北)の刺史を歴任の後、病 を得て故郷 潤州に隠棲して終った。 晩年は仙人、隠者の世界にあこがれていたという。 この詩は作者が刺史(長官)として郢州に在った時の作とするのが一般的だが、むしろ 晩年潤州に隠棲の後、昔 洞庭湖のほとりに友人と遊んだ時をしのんで作ったものとする 方が自然のように思われる。 又詩中の楚雲は巫山の神女(楚の懐王の伝説)湘水は湘妃(舜帝の妃、娥皇・女英の伝説) を連想させることから、同遊の相手は、その当時この地でねんごろにしていた美人であろ うという見方もある。 いずれにしても、秋風に対する老境の身の心情を、静かに詠じた佳作といえます。特に結 句が利いています。 (玉井幸久) |