春曉 孟浩然 春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜來風雨聲 花落知多少 (PCにない旧字は常用漢字を 用いています) 春眠暁を覚えず 処処 啼鳥を聞く 夜来 風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 春の眠りの心地よさに、夜が明けたのも気付かず寝すごしてしまった。 承句 うつらうつらとしている部屋の外では、あちこちから小鳥のさえずりが聞こえ てくる。 転句 ゆうべは風雨の音がしていたが、 結句 花はいったいどれほど散ったかなあ。 【語釈】 春眠 春の心地よい眠り。 不覚暁 朝になったのに気づかない。覚は気付く意。 處處 あちらでもこちらでも。到るところ。 啼鳥 鳥の鳴く声。 夜来 昨夜。來は助字で意味はない。 知多少 どれほどかわからない。 「多少」は「多いか少ないか、いかほど」を意味する疑問詞。 「知」は疑問詞の上につくと「不知」(しらず)の意になる。 【押韻】 上声 、十七篠韻、 曉、 鳥、 少。 【解説】 孟浩然(689-740)は湖北省 襄陽の人。四十歳の頃、都に上り張九齢や王維等と親交 を結んだが仕官せず故郷に帰った。後に張九齢が荊州に左遷された時、招かれてその 属官になった一時期を除き、襄陽郊外に隠棲し多くの詩人との交りを楽しんだ。 この詩は、名利の外に悠然と居る高士の世界を簡潔に美しく詠い上げた傑作で、俗事 に汲々とする都人をあざ笑う観さえあります。 この詩はまた、古来日本人に最も愛された詩の一つで、特にその第一句ほど日本人の 心をとらえた句は珍しいでしょう。 以上 (玉井幸久) |