易水送別 駱賓王 此地別燕丹 壯士髮衝冠 昔時人已沒 今日水猶寒 (PCにない旧字は常用漢字を 用いています) 此地別燕丹 此の地燕丹に別る、 壯士髮衝冠 壮士髪冠を衝く。 昔時人已沒 昔時の人已に没し、 今日水猶寒 今日水猶お寒し。 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 この易水の地は、昔 荊軻(けいか)が燕国の太子 丹(たん)に別れを告げ旅 発ったところだ。 承句 行く者も送る者も壮士たちは慷慨して怒髪が逆立って冠をつき上げんばかりで あったという。 転句 その時の人々はもういない。 結句 しかし、今日のこの別れの日も、易水の水は当時と変ることなく寒々と流れている。 【語釈】 易水 川の名、今の河北省易県(保定市の北)を源として東流。戦国時代の燕国の西 南の国境を流れていた。 燕丹 燕国の太子 丹。丹は曽て人質として秦に居た時、秦王政(後の始皇帝)に冷 遇された為、恨みを抱き燕に逃げ帰った。その後 秦は次第に隣国を侵略し、燕 の国境にまで迫った。そこで丹は、当時食客として燕にあった荊軻を秦王暗殺 の刺客として送ることとし、易水のほとりで送別した。 髮衝冠 激しく怒るささま。怒りで髪が逆立ち冠をつき上げる意。この時の別れの状 況を史記は次のように記している(刺客列伝)「高漸離(人名)筑を撃ち、荊 軻和して歌う。変徴の声を為す。又前(すす)みて歌を為(つく)りて曰く、 風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒 く、壮士一(ひと)たび去って復(ま) た還(かえ)らず、復た羽声を為 し、忼慨す。士皆目を瞋(いか)らし髪尽 (ことごと)く上りて冠を指す」。 水猶寒 前期荊軻の詩の「易水寒」を受ける水が冷たい意。 【押韻】 平声 、十四、寒韻 丹、 冠、 寒。 【解説】 駱賓王(640?-684?)は義(ぎ)烏(う)(淅江省)の人。七歳にして詩文を作ったとい う。特に五言詩にすぐれ、王勃(おうぼう)、楊炯(ようけい)、盧照鄰(ろしょう りん)と共に初唐の四傑と称される。官は長安主簿に登ったが、則天武后の時に左遷 され自ら官を辞した。 光宅元年(684)徐敬業(じょけいぎょう)が則天武后討伐の兵を挙げるとその幕僚 となり武后を指弾する檄文を書いた。これを読んだ武后はかえってその才を惜しんだ という。後、徐敬業が敗れると行方をくらました。 この詩は駱賓王が易水のほとりで人を送った時の作であるが、送られる人は徐敬業で あったと見るのが自然であろう。自らの武后への怒りを「今日水猶寒」の句に託して、 九百年前の太子 丹と荊軻の秦王への怒りに比していることは明らかで、この典故を短 い詩に見事にとり入れた傑作です。 了 (玉井幸久) |