山中與幽人對酌 李白 兩人對酌山花開 一杯一杯復一杯 我醉欲眠卿且去 明朝有意抱琴來 (PCにない旧字は常用漢字を 用いています) 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 二人で向いあって酒をくみかわしている庵(いおり)のまわりには、山の花々が咲 いている。 承句 打ちとけて、一杯、一杯また一杯と杯をかさねるうちに、 転句 私は酔うて眠くなって来た。君、今日はかえれ。 結句 明朝また気がむいたら、琴をかかえて来ておくれ。 【語釈】 幽人 隠者、世を避けて山中にかくれすんでいる人。 對酌 向いあって酒をくみかわすこと。 卿 きみ。同輩または目下の者を呼ぶときに用いた二人称。 且 ちょっと今日のところはの意。 この場合「しばらく」は時間的しばらくではない。 有意 気がむいたなら。 琴 当時、男子は教養として詩・書の他琴もひいた。当時の琴は持ち運べる大きさで あった。 【押韻】 平声 、十 灰韻 開、 杯、 來。 【解説】 李白は生涯多くの文人、詩人は勿論、上は皇帝及び官僚、地方の有力者から下は市井人 にいたる巾広い階層の人々と交わり、広く敬愛された。 李白 本人は中でも、隠者或いは道士と呼ばれる人々に特別の親しみをいだいていたよ うに思われるふしがある。実際に彼自身、一時廬山に身を隠した。時は安史の乱で世が 騒然とした、李白五十六歳の事であった。(その後ほどなく永王璘に誘われ、その軍に 投じ終に官賊の汚名を着せられることになる) この詩は、その廬山隠棲当時の作として鑑賞するのが最もふさわしい。詩は李白らしい 明快な調子で屈託のない隠者の生活を詠いあげたもので、特に承句の「一杯一杯復一杯」 は型破りの表現であるが、詩全体をじっくり味えば、山中草庵の隠者同志の対酌の様子 が一巾の画のように浮び上って来る、見事な作品という他はない。 尚、転句と結句は、「陶淵明傳」に見える下記の故事が下敷きになっています。 『淵明は音律を解せず、而(しか)れども無絃(むげん)琴(きん)一(いっ)張(ちょう)を蓄 (たくわえ)え、酔うて適(てき)する毎(ごと)に、輒(すなわ)ち撫(ぶ)弄(ろう)して以 てその意を寄す。貴賎の之(これ)に造(いた)れる者には、酒有れば輒(すなわ)ち設く。 淵明若(も)し先に酔えば、便(すなわち)ち客に語ぐ「我れ酔うて眠らんと欲す、卿去る 可し」其の眞率(しんそつ)なく此(かく)の如し。』 (陶淵明傳・梁・蕭統撰) 了 (玉井幸久) |