示兒   陸游

   死去元知萬事空

   但悲不見九州同

   王師北定中原日

   家祭無忘告乃翁

   (PCにない旧字は常用漢字を
   用いています)




     ()(しめ)す   陸游(りくゆう)

 ()()らば(もと)()(ばん)()(むな)しきを、

 ()(かな)しむ九州(きゅうしゅう)(おな)じうするを()ざる
 を。

 (おう)()(きた)のかた(ちゅう)(げん)(さだ)むる()

 ()(さい)(わす)()乃翁(たいおう)()げよ。

 中国語による上の詩の朗読朗読
田原健一氏画


    【通釈】 起句 死んでしまえば一切空(くう)に帰し、万事おしまいだということはもとより知っている。
        承句 ただ残念なことは、わが国全土の統一した姿を見ないで死んでゆくことである。
        転句 わが天子の軍隊が、北方の中原地帯を平定(都 汴京(べんけい)を奪還)した時には、
       結句 わが家の先祖のお祭りをして、わしにそのことを報告することを忘れるでないぞ。

    【語釈】 九州 天下。中国全土をいう。古代中国全土を九つの州に分けたことによる。
            王師 天子の軍隊。ここでは南宋の軍隊。
             中原 中国の中央部。今の河南省を中心とする地方一帯。宋の都は中原の汴京にあったが
          当時金に占領されていた。
             家祭 先祖の祭り。
             乃翁 父親が子供に対して自分を呼ぶ語。(なんじ)(ちち)の意。

    【押韻】 平声 、東韻  空、 同、 翁。

    【解説】 南宋最大の詩人 陸游が死に臨んで息子達に遺した辞世の詩。この時 陸游八十五歳。陸游
       (1125-1209)は越州山陰(浙江省、紹興)の名門の出身。号は放翁。幼くして文名あり。生
       涯を通じて、金に対する徹底抗戦をとなえた。三十歳の時 科挙試験に応じ好成績を挙げた
       が、和平派の宰相 秦檜(しんかい)の妨害で落第。
       秦檜の死後ようやく進士の資格を得て官に就いた。その後和平派との抗争で、昇進、免職
       をくりかえした後、最後は故郷に引退した。
                                         以上
                                         (玉井幸久)