沈園  陸游

   夢斷香消四十年

   沈園柳老不吹綿

   此身行作稽山土

   猶弔遺蹝一泫然

   (PCにない旧字は常用漢字を
   用いています)


    

     (しん)(えん)   陸游(りくゆう)

  (ゆめ)()たれ(こう)()えて四十年(しじゅうねん)

   (しん)(えん) (やなぎ)()いて綿(わた)()かず

   ()()()くゆく稽山(けいざん)(つち)(つく)らんと 

   ()遺蹝(いしょう)(とむら)いて(ひと)たび(げん)(ぜん)たり

     


    

    
中国語による上の詩の朗読朗読

鈴木栄次氏画


    【通釈】 起句 夢のようなつかの間の再会の後、香りが消えてしまってから四十年、
        承句 ここ沈園では、当時若々しかった柳も老い果てて、柳のわたを吹きだそうともしない。
        転句 私もやがて遠からず、故郷 会稽山の土になろうとしているのだが、
       結句 それでもなお、あの再会のあとを訪れると涙があふれ落ちるのだ。

    【語釈】 
沈園 沈(しん)は人名。沈氏の邸にあった庭園、紹興にあった。陸游は二十歳のころ母方の
          姪、唐琬と結婚。二人の仲は睦じかったが、嫁と姑の間がうまくゆかず、母から離婚
          させられた。数年後、二人は各々別人と再婚した。
          陸游三十一歳の時、たまたま沈氏の庭園を訪れ、同じくこの庭園を夫と共に訪れてい
          た唐琬と再会したが、唐琬はその後間もなく他界した。
          陸游は晩年に至るまで彼女のことが忘れられず、彼女の思いにまつわる 詩を幾篇も
          残している。
             夢斷香消 沈園での再会も一場の夢となり、間もなく唐琬が他界したことをいう。
             柳老 柳の木の老いに自らの老いを重ねる。
       綿  柳のわた。柳絮。
           柳の実が熟して、それにつく白毛が晩春のころ綿のように乱れ飛ぶもの。
             稽山 会稽山、陸游の故郷 紹興にある。
             行  助字。まさに・・せんとす。まさに・・ならんとす。将と同意に用いる。
             作  なる。
             猶  なお。やはり。まだ。
             弔  哀悼の意をもって訪れること。
             遺蹝 思い出のあと。
             泫然 涙などのはらはらと落ちるさま。

      
    【押韻】 平声 、先韻、  年、 綿、 然。

    【解説】 陸游(1125‐1209)、越州山陰(浙江省紹興)の人。字は務観、号は放翁。范成大、楊萬里
       と共に南宋の三大詩人に挙げられる。
       当時 南宋は北方の金と対立しており、陸游は死ぬまで主戦論者で後年憂国詩人と呼ばれる。
       官についての陸游の一生は主戦派と和睦派の政争による浮沈のくりかえしであったが、晩年
       の二十年間はほとんど故郷 紹興で自ら耕し、貧困のうちに国を憂えつつ八十五歳の生涯を
       終えた。
       この詩は陸游七十五歳の作。若くして心ならずも離別した唐琬との四十数年前の偶然の再会
       があった沈園を訪れ、彼女への思いを詠じた二首で、しみじみと人の心を打ち、作者の人柄
       を偲ばせる清らかな佳作です。

                                       以上
                                         (玉井幸久)