感懷  西鄕隆盛

   幾暦辛酸志始堅

   丈夫玉碎恥甎全

   我家遺法人知否

   不爲兒孫買美田

   (PCにない旧字は常用漢字を
   用いています)




     感懐(かんかい) 西郷隆盛(さいごうたかもり)

   (いく)たびか辛酸(しんさん)()て (こころざし)(はじ)めて
   (かた)し、

   (じょう)()(ぎょく)(さい)するも 甎全(せんぜん)()ず。

   ()()()(ほう) (ひと)()るや(いな)や、

   ()(そん)(ため)()(でん)()わず。

 中国語による上の詩の朗読朗読
田原健一氏画


    【通釈】 起句 幾度もつらい目にあい、鍛えられてこそ人の志は堅固になるのだ。
             承句 (昔から云われているように)大丈夫たるものは、たとえ玉となって(節操の
          ために)砕けても、瓦となっていたずらに身の安全をはかるような恥ずべきこ
          とはしない。
             転句 我が家の子孫にのこしておく おきてを、人は知っているのだろうか。
             結句 それは、子孫の為に美田を買い(財産を蓄え)のこすようなことはしないとい
          うことである。

    【語釈】 感懐 思い、感想。
          この詩題は、偶感、偶成としている本もある。
            辛酸 からさとすっぱさ。
           転じて、つらく苦しいこと。艱難辛苦。
             丈夫 一人前のしっかりした男子。才能のすぐれたりっぱな男子。
             玉砕 玉となって砕ける。節義を守り、又功名を立てて死ぬことをいう。
          瓦全の反対。
             甎全 瓦全。瓦となって安全に残る。
          徒らに身を全うすること。
          何等為すことなく生きながらえること。
          玉砕の反対。甎はしきかわらで、瓦と同じ意。この詩では平仄の関係で 甎を
          用いたもの。
             遺法 子孫にのこしておく法則。
          「遺事」としている本もある。
             美田 地味の肥えたよい田畑。
          美田を買うとは、財産を蓄えること。

    【押韻】 平声 、一先韻  堅、 全、 田。

    【解説】 西郷隆盛、号 南洲は維新の三傑の一人。薩摩藩の下級武士の家に生れたが、藩主に
       重用され、長州と同盟して尊王倒幕運動を起こし、戊辰戦争には官軍の参謀として
       東征した。維新後 明治政府の参議となったが、一部と合わず、明治六年下野、鹿児
       島に帰り私学校を建て子弟を教育した。
       明治十年、地方の士族や青年達に擁立されて西南戦争を起こしたが敗れ自刃、正に英
       雄の名にふさわしい波瀾の人生五十年の生涯を終えた。
       この詩は、西郷隆盛自身の生きざまについての自負に基いた人生観、信念をそのまま
       詠じたものと思われるが、或いは当時已に名利に走ろうとしていた新政府の高官達へ
       の苦言の意をこめたものかも知れない。
       今日の政治家にも是非吟唱してもらいたい名詩です。
       なお、承句の「玉碎恥甎全」の出典は、隋唐時代の書 北斉書、元景安伝の「大丈夫
       寧可玉砕、不能瓦全(大丈夫は寧ろ玉砕すべきも瓦全する能わず)」に依るものです。
                                         以上
                                         (玉井幸久)