宴城東荘 崔惠童 一月 相逢相値且銜杯 眼看春色如流水 今日殘花昨日開 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 人生心のそこからの笑いは、一ヶ月の中に何回あるだろうか。そんなに多くはない。 (荘子に「一ヶ月の中に四、五日に過ぎざるのみ」とあるが、この別荘のあるじで ある私も同じ思いだ。) 承句 (であるから)こうしてお互に逢った時には、ともかく酒をくみ交わし、心の底から 楽しもうではないか。 転句 眼前に看ている今はさかりの春景色も、流れる水のように過ぎ去って、しばらくも 留まらない、 結句 今日凋んでしまっている花も、昨日開いたばかりなのだ。 【語釈】 一月 ここでは一ヶ月の中の意。 主人 この別荘のあるじ、崔惠童自身。 相逢相値 逢は両方から出会う。値はちょうど出あう。ここでは同じ意味の字を重ねて意を 強調したもの。 銜杯 酒をのむこと。銜は口にくわえる意。 且 ともかく。とりあえず。 眼看 目の前にみる。 春色 春景色。 残花 しぼんだ花。そこなわれた花。散り残った花。 【押韻】 平声 十灰韻 回、 杯、 開。 【解説】 崔惠童は唐代の人。玄宗皇帝の皇女 晋国公主を妻とした。 この詩は作者の別荘に弟(一説には従弟)の崔敏童(さいびんどう)を招き宴会を催した時 の作。敏童が先ず下記の一詩を作り、惠童がそれに和したものとされ、いずれも唐詩選に 収録されている。 崔敏童 宴城東荘 一年始有一年春 一年始めて一年の春有り。 百歳曾無百歳人 百歳曽て百歳の人無し。 能向花前幾回醉 能く花前に向いて幾回か酔わん、 十千沽酒莫辭貧 十千酒を沽って貧を辞す莫かれ。 敏童詩の承句は、荘子盗跖篇の「人、上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十。病瘦、死喪、 憂患を除けば、その中、口を開いて笑う者、一月の中、四,五日に過ぎざるのみ」を踏まえ ている。これに応じて惠童詩も同じ荘子の続きの部分を上手に引用している。 詩は人生の無常への思いを悠然と美しく詠じた佳作と云えます。特に結句の着想が秀逸です。 なお、この詩の起句、四字目が孤平となっていることが古来指摘され、「主人」 は「人生」の誤りであるとの説が一般的です。 (玉井幸久) |