九月十日 菅原道真 去年今夜侍淸涼 秋思詩篇獨斷腸 恩賜御衣今在此 捧持毎日拜餘香 (PCにない旧字は常用漢字を 用いています) 中国語による上の詩の朗読 |
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田原健一氏画 |
【通釈】 起句 去年の今夜、宮中の清涼殿で、 承句 秋思という御題で詩を作り、(天皇の御褒めをいただいたが)そのことを回想 すると断腸の思いだ。 転句 詩の出来映えのご褒美に頂いた御衣は今ここにある。 結句 捧げ持って毎日御衣に焚きこめられた香りを懐かしく拝するのだ。 【語釈】 九月十日 この詩題は「重陽後一日」となっている本もある。 九月九日は重陽の節句で菊鹿の宴、更にその翌日詩会が宮中で催されたもの。 淸涼 清涼殿のこと。宮中 内裏(だいり) 宮殿の一. 十世紀の村上天皇以後、天皇が日常生活をする御殿として用いられた。 侍 はべる。目上の人のそば近くにかしこまって居ること。 秋思 秋のものさびしいおもい。醍醐天皇の昌泰三年(900)九月十日清涼殿の詩会の 勅題が「秋思」であった。 斷腸 はらわたがちぎれるほどの思い。非常な悲しみのたとえ。 恩賜御衣 詩の出来ばえの賞として、天皇より賜った衣。 餘香 あとに残っているかおり。 【押韻】 平声 、七陽韻 涼、 腸、 香。 【解説】 菅原道真(849 - 913)は平安時代前期の学者政治家。 文章博士(もんじょうはかせ)、大学頭(だいがくのかみ)の家柄に生れ、若年から 学才をもってきこえ、詩文に長じた。漢詩は白居易の影響を受け、当代随一の漢詩人 であった。 政治家としても蔵人頭(くらんどのとう)を経て、醍醐天皇の昌泰二年(899)右大臣 にまで昇進した。しかし、藤原家の策謀により冤罪をきせられ、昌泰四年(901)太宰 権師(だざいのごんのそつ)に左遷され配所で没した。 この詩は流謫の地 大宰府での作で、平易な用語の中にも、深い悲しみと天皇の恩顧へ の感謝と忠誠心のこもった美しい作品となっています。 以上 (玉井幸久) |