探春  戴 益

   盡日尋春不見春

   芒鞵踏遍隴頭雲

   歸來適過梅花下

   春在枝頭已十分


    (たん)(しゅん)    (たい) (えき)

   尽日(じんじつ)(はる)(たず)ねて(はる)()ず、

    芒鞵(ぼうあい)()(あまね)(ろう)(とう)(くも)

    帰来(きらい) (たまたま) ()梅花(ばいか)(もと)

    (はる)枝頭(しとう)()って(すで)十分(じゅうぶん)

 中国語による上の詩の朗読朗読
田原健一氏画
    【通釈】 起句 一日じゅう春の風景をもとめて尋ね歩いたが、どこにも見付けることが出来
          なかった。
             承句 わらじがけで、あの隴山にも似た山々の雲に分け入り梅をもとめて歩きまわ
          ったのだ。
             転句 さて(疲れはてて)帰る道すがら、たまたま梅の木の下を通りすぎたのでふ
          と見上げると、
             結句 こずえの蕾はすっかりふくらんで、已に春のけはいは十分ではないか。

    【語釈】 探春 春のけしきを尋ね歩くこと。
             盡日 一日じゅう。終日。
             芒鞵 わらじ。芒鞋。
             踏遍 すみずみまで歩きまわる。
             隴頭 隴山のほとり。
                隴山は今の陜西省と甘粛省の境をなす山の名。昔 呉の陸凱が江南太守であ
          った時、隴頭に在った親交の范曄に対し梅花と詩一首を添えた書信を寄せた
          故事により「隴頭雲」は梅花を連想させる。
             歸來 帰り道に。来は助辞で意はない。

    【押韻】 平声 十一眞韻 春と平声十二文韻 雲、分の通韻。

    【解説】 戴益は宋代の人という以外の経歴は不明。この詩は単なる探春の詩としてではなく、
      「心理を探求しようとして、いろいろと高遠なことを学び迷った末に、結局すぐ手
       近なところにあることに気付いた」「道は近きにあり」との寓意が重んじられ、禅
       の悟りの境地を示すものとして伝えられて来たようです。
       詩の構成は、「春」を起句に重複して用いた後、更に結句にも用いて強調している
       他、「頭」の重複もありやゝ破格の感はありますが、格調高く禅味あふれる逸品で
       す。詩意をいずれに解釈するかは読者次第です。なお、この詩の承句と転句は、下
       記のようになっている本もあります。
         杖藜踏破幾重雲   (じょう)(れい) ()(やぶ)幾重(いくちょう)(くも)
         歸來試把梅花看   帰来(きらい) (こころ)みに梅花(ばいか)()って()れば
                                 (玉井幸久)