会員からの寄稿
4. 漢詩鑑賞お薦め本閑話
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3. 漢詩この一冊
「漢詩を読む」 平凡社、全四冊、宇野直人 江原正士 共著 1.詩経、屈原から陶淵明へ 2.謝霊運から李白、杜甫へ
例えば孟浩然の春暁 「春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少」では 宇「一見のんびり春を楽しんでいるような詩です。」 江「悟ったというよりは、まあ情景描写ですね。何か意味合いがあるんでしょうか。」 宇「朝寝坊ができるというのは、官職についていないという告白になるんです。」 江「当時のお役人はずいぶん朝早くから勤めに出るんでしたね。」 宇「まだ星の見えるうちから宮中の門の前に待っていなくてはいけませんでした。」 江「ウチでぐーたらしているということですか?」 宇「風雨は『詩経』以来、逆境のたとえで 〝私の人生、今まで雨風続きで暗かった〟と。」 江「すると武士が「春眠暁を覚えず」と格好よく言ってるさまではないわけですね。」 まるで話を聞いているかのようにいつの間にか詩の理解が深まっていくのです。 |
2. 水墨画と自詠自書について 鎌倉芸術館にて平成28年4月2~4日「墨に遊ぶ米寿の書画展」を終えてひと言 記 吾輩はモノクロが好きである。何故だか知らない。色彩感覚が鈍いためだろうか。とにかくモノクロが好きである。25、6歳のころ、よく山登りして写真を撮った。勿論モノクロである。それを引き伸ばして飾りたいが金がかかる。そこで写真を筆と墨で描いてみた。所謂半紙サイズである。額に入れてみると、なかなかイケるではないか。それが水墨画と言えるのかどうか知らないままに、時々気に入った写真が撮れると墨で描くようになった。絵にすると邪魔なものは省略できることも有難い。 その後あまり描くことはなくなったが、停年近くになって思い出した。水墨画を趣味にしようと。山田玉雲の「竹の技法」「山の技法」「水の技法」その他10種ほど買入れて自習した。従って、吾輩に師匠はない。強いて言えば師匠は山田玉雲となるか。所属団体としては、一時期鎌倉で霞峰会に入っていたが、現在は無所属である。旅行すれば墨や水彩でスケッチして、気に入ったのを水墨画にする。また、水墨画展や写真展、新聞・雑誌で惚れ込んだ作品を見ると、真似したくなる。そんないい加減な楽しみ方をして来、またしている毎日である。 水墨画の掛軸には、漢詩が付けられている例が多い。確かにカッコいい。さいわい吾輩も漢詩を作るようになった。短歌も始めて10年になる。自分が作った漢詩や短歌を書にできるようになってみたい。そこで書道教室に入ってみたが、半年でやめた。細かい注意や指図・小言に閉口したのだ。幸い吾輩は中学3、4年のとき、勤労動員中に仲よしになった高等師範の学生が達筆で、毛筆を教えてくれ、また叔母が手紙の書き方の本を貸してくれたので、1冊全部半透明の紙にマル写ししたことがあった、という体験をしている。そこで娘の高校の書の教科書を元に、自習で書きまくっているうちに面白くなってきたのである。従って、師匠もなければ所属団体もない。 纏まって毛筆の書を書きはじめたのは、50歳のころである。両親が老眼になりペン字の手紙が見難くなったので、巻紙に小筆で近況をしらせるようになったのが切っ掛け。條幅に太筆で書くようになったのは、85歳になった昨年のこと。鎌倉漢詩会で自詠自書の展示会をすることになって、挑戦したものである。固い書体、柔らかい書体、細い金釘流、太い雄渾な字、カスレ多用の書、大小取り混ぜた書、いろいろ試して面白がっている昨今である。 今後は、合同展(書と水墨画)が年2回はありそうなので、個展は当分見送ることになるだろう。2年後の卒寿にもう一度と思わぬでもないが。 |
1. 漢詩の世界に「片足」突っ込んでみて 原 田 睦 夫 私にとって高校当時、漢詩・漢文なるもの、最も不得意とする授業科目で、以来五十五年、ふたたびこの世界に足を突っ込むとは思いもよらないことでした。 入門講座受講後、神漢連が用意して下さった今後の漢詩習熟のための選択肢(鑑賞会A・B・C)の中で、私は現在、Cの「七絶一歩」の聴講と、特にBの「唐詩選画本」の輪読会に参加させてもらっています。 鑑賞会Bのテキストは、座長である住田笛雄先生が用意して下さっているもので、表題に「唐詩選畫本 七言絶句 續編」とあり、これは江戸の儒学者荻生徂徠の弟子であった服部南郭が「唐詩選」に訓点を付けたものに寛政期に紅翆斎主人という人が自らの作画で画本化したものか。 |